しゃぶしゃぶ

NEWSとJUMPと嵐

原作『父と暮せば』

前口上からはっと胸を突かれた。

アジアに対しては加害者の日本人が、何時までも被害者意識に捉われてナガシマやヒロシマの話をしていてはいけない、という声に、「否!」と言い続けるという。
二個の原子爆弾は日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたもの、あの地獄について書くのは、被害者意識からではなく、「知らないふり」をすることは、何にも増して罪深いことだからだと考えるからだ。(要約)

ヒロシマナガサキのことを後世に残すのは、被害者であったことを忘れさせない為ではない。ヒロシマナガサキについて知ることは、日本人がどれだけ酷いことをされた被害者であるのかを知ることではない。
あれが落とされた時の情勢、あの時の日本国内の空気、常識、多くの国民はそっと口を噤んでいた本音、投下のその日、ヒロシマナガサキの町はどうなったのか、生き残った方たちが語る「それ」はどんな物か、家族や友人のどのような姿を見ることになったのか、後遺症は、どんな想いを抱えることになったのか、その人その人が語る事実を蓄積することが大事なんだなと。何を感じ、何を決め、何を語り、或いは何を行動するのかは、受け手に委ねられている。
地獄について「知らないふり」するのが何より罪深い、とおっしゃる井上ひさしさんの書いた戯曲、こちらも向き合って読まないといけないんだ、と背筋が伸びた。


原爆から3年後の広島市が舞台。
『母と暮せば』では息子が幽霊だけど、『父と暮せば』では父が幽霊として登場する。
実の子のように可愛がってくれた親友の母に「なぜあの子が死んであんたが生きてる」となじられ、「自分は幸せになってはいけない、恋愛なんてしちゃいけない」と殻に閉じこもった日々を送っている娘。
そんな彼女の中に淡い恋心が生まれたのをきっかけに、原爆で亡くなった父が現れた。彼女の恋心が自分を生んだと言う父。父は娘の恋を応援するけれど、娘は頑なに自分の恋から遠ざかろうとする。そんな娘がもどかしく、父は「何故」と問い続け、物語が進むごと、彼女の後悔、罪悪感が紐解かれていく。

「おまいは病気なんじゃ。病名もちゃんとあるど。『後ろめとうて申し訳ない病』ちゅーんじゃ。気持ちはよう分かる。じゃが、おまいは生きとる、これからも生きにゃいけん。そいじゃけん、そやな病気は、はよう治さないけんで。」(抜粋)

娘を生かす為に現れた父が語る終盤の言葉、どれもがあったかくて強くて、娘は「父を見捨てた」と思っていたあの時のことを、父が「おまいはわしによって生かされとる」と言ったことによって、「父が娘を救った」場面になった。
あの日はむごい別れが何万もあった。生きてる人間は容易には受け止められない罪悪感を、その対象が幽霊として現れて、死ぬ直前までの想いをはっきり伝えることで、終盤にきても自分が幸せになることから逃げようとしていた娘は、ようやく自分の人生と向き合えた。そして幸せになれる道を選択できるようになった。

「こんどいつきてくれんさるの?」
「おまい次第じゃ」
「しばらく会えんかもしれんね」
「…………」


父と暮せば』は、娘が主人公で、娘に「生きる気持ちを取り戻させる」物語だった。タイトルも、『父と暮せば』、娘視点だ。
でも『母と暮せば』は?主人公は吉永小百合さん演じる母としながら、タイトルは息子視点。あらすじの一部も、生前の彼女に新しい人ができるのを受け入れられない息子、そんな息子を愛おしく想う母、とあり、変化を求められているのは息子の方にも感じられる。
でも幽霊が出てきたきっかけが「母が息子の死を受け容れたこと」なら、母が生きていく為の物語なんだろう。
父と暮せば』を読んだことで想像が具体的になった。


偉そうな冒頭から自担に着地してすみません。