しゃぶしゃぶ

NEWSとJUMPと嵐

丑野家闘病記

8月7日、最後のCTの結果が告知された。
「新たな再発/転移所見を指摘できません」
母が末期の卵巣癌と診断されて約1年、終わってみれば1年前に「理想」と言われた「今日」だった。


事の始まりは「なんかしこりがある」という母の申告。
素人が分かるほどの「しこり」だなんて、言われた瞬間から不安しかなかった。
「まず病院に行こう」
そうとしか言わなかったものの、「多分そうだろう」と思っていた。
通院していた先生に大学病院の紹介状を頂き、飛び込みで診察してもらい、初日の結果は、「だいぶ大きい」。
早急に開腹手術の日を決めて頂いた。
治療計画を立てるために、開けるしかないと言われた。
その時はまだ、「そうですか」、と淡々といられた。
病状が分からない。先生もなんとも言えないのなら、素人が何を言えるはずもない。


「5年生きられないかもしれない」
開腹手術の結果そう言われて、それでも、「そうですか」、と返していた。
手術中の写真を告知なくばーんと見せられて「おおおおおこっちは素人ですけどおおおっ」と若干引きながら、手術結果をどこか他人事のような距離感で聞いていた。
ステージ4だった。
「薬が良く効くタイプの癌です。ただ、大きすぎるので、なんとも…効かなければ、秋まで持たないかもしれません」
病院のトイレで泣いた。
どうなるか分からない。先生がおっしゃった通り、良く効くかもしれない、効かないかもしれない。それは先生にも分からない。なまじできるかできないか結果について確答できない仕事をしているだけに、先生に詰め寄る事もできなくて、ただ泣いた。
診察後、店長への結果報告の電話も、泣かずにいられるまで待って電話したはずなのに、話す内に泣いてしまった。「悪い結果になるとは限らないよ」年下の店長にそう言われて、ますます泣いてしまった。このタイミングで彼が店長でいてくれたこと、感謝している。


「私はこの瞬間に対して高校生の時に覚悟を決めたはずだ」そう思い直して、フォロワー様からも温かいリプを頂いて、帰宅の運転で気を持ち直した気でいたけれど、帰り着いてみれば、ずっと泣いていた。
明日も仕事だ、洗濯しなきゃ、ご飯食べなきゃ、お風呂はいらなきゃ。そういう「普通の日常」に移れなかった。泣くしかできなかった。
でも「普通の日常」を送らないといけない。母が末期癌で入院しようと、私は明日働くべき場所がある。
友人に電話した。
妊娠中なのに、という理性を押しのけて甘えてしまった。飛んで来てくれた。
ただ、嗚咽しながらの電話を切った瞬間に、最早正気だった。「こんな汚い部屋にあげるわけにはいかない」と、早速掃除をしていた。
その時に、「わたし」が「わたし」だと思っている「わたし」は、他者といることで成り立ってるんだなと思った。ひとりでいる「わたし」は、ただ泣いていた。他者といるから、「わたし」は社会生活を送れる「わたし」でいられる。
泣くしかできない時でも、「ちゃんとしなきゃ」と思える自分と、頼れる友人がいる幸せを知った。


投薬治療をして、薬が良く効いて摘出手術までできるのが理想、と言われた。
癌が大きいので、冬には手術をしたい、とも言われた。
ステージ4にも関わらず治療方法があったのは、本当に不幸中の幸いだった。


その後3ヶ月ぐらい入院していた気がする。
その間、毎週毎週雑誌に載ってレギュラー番組がある嵐の存在が有り難かった。
母が入院している間は早上がりを増やしてもらって、仕事して病院に寄って、という日々が多かったけれども、その時に新しい嵐の雑誌と番組をお土産にできるのが、こちらの気持ちも軽くなって助かった。
「この時のにのがね」「大野君がwww」
病院にいながら、今までの日常と変わらない会話ができた。
木曜日に立ち寄った時、相部屋4台のテレビがVSを映していた時、「嵐ってすごいな」と純粋に思った。FC数がどうこうとかじゃなく、長期入院している相部屋の患者さん4人がみんな見ているという事実。
こういう言い方すると重たくなっちゃうけど、鬱々とした心を嵐が軽くしてくれてたよ。

ブラストハワイ/THE DIGITARIANツアー/デビクロくん/年末の怒涛の音楽番組/紅白司会/新春ドラマ/オリエント/ピカハフBD/母と暮せば/赤めだか/殺せんせー/ワク学JUMPくん共演/ブラストミヤギ/FREESTYLEⅡ/2015ツアー/坊ちゃん…

書ききれん。
嵐の供給量半端なかった。
ずっとずっと新しいものをくれてた。

ハワイの初日、末ズの挨拶で泣いた。
待機組にも配慮をありがとう。
ハワイの2日目、にのの挨拶に泣いた。
たくさんの「ありがとう」をありがとう。こちらこそ「ありがとう」しかないというのに…

母は薬の副作用で抜けた自分の髪を集めて「針刺し作る」というような気丈な人なので、嵐がどうとか関係ないかもしれない。
それでも、自分が朝の9時に出て夜中の24時まで帰れなかったりする仕事をしていると、半日以上一人でいさせてしまう母が「楽しみ」と思える趣味を持ってくれたのはホントに有り難かった。
嵐を好きでいてくれて良かったなと思った。


そして裕翔君も大きかった。
山田君のドラマをして、
「病と闘う人たちへの思いがいいほうへと変わる気がします。
このドラマを見て少しでも何かを感じてくれたらなと思います。」
そうコメントする裕翔君は真っ直ぐで誠実で一生懸命だなって感じた。
でも、山田君のドラマが今年で良かったと思う。
2014年の夏の思い出のドラマが、裕翔君のみずたまでホントに良かった。
一人の夜に、みずたまのキラキラした青春に夢中になって己の中になんとなくある不安が消し飛ぶ夏を過ごせて良かった。2014年の夏=みずたまな日々を過ごせて良かった。

『デート』で依子パパが「なぜこうしてやらなかったんだろう」て後悔を語ってる時、まさしくそういう後悔を抱えていたわたしは号泣だったし、巧さんが屋上で「お母さん、死なないで」と泣いていたシーンでは、開腹手術の日まさしくそうして泣いていたわたしは号泣だった。

裕翔君を追っていてリアルでは到底流せない涙を流せて、とても良かったと思う。


摘出手術の日、11時間ほど待機していた。「電話してすぐ駆けつけられる距離に居て頂ければ」とは言われたけど、病院内にいる以外の選択肢はなかった。
手術前の母はいつも通りだったけれど、手術後の彼女は様変わりしていた。
ずっと痛がっていた。「痛い…痛い…」と呻くしかできない母に、わたしも「そうか…そうか…」と言うしかできなかった。


「癌を摘出」というのは、「悪者退治」のようなイメージを持っていたけれど、考えてみれば「もとは体に必要な器官をまるごと摘出する行為」なのだと知った。
正直、摘出手術後が一番辛かった。
仕組みは知らないけどやたら痰が出る母、一人では吐けない母、一日中寄り添って介助する日が数日続いた。他に変われる家族はいない。ずっと1対1だった。


摘出手術直後、先生のもとへ呼ばれて摘出された物を目の当たりにした時、その時に初めて先生のお顔を拝見した。病院の方々は常にマスクをしている。人相って実は分からない。母の命を預けてる人のお顔をわたしは知らなかったんだ、とその時に初めて気付いたし、この先生が主治医で良かったと思った。表情がとても暖かい方だった。
部屋に入った瞬間の生暖かさ、温度を匂いでも感じるんだと知った。母の病巣の匂い、一生忘れられないと思う。



CT結果を受けて、1年前、「5年生きられないかもしれない」とおっしゃったのは無効かと、とてもききたかったけれど、聞けなかった。
答えられる質問ではない。
この先何年一緒にいられるだろう。
時間は限られているのだろう。
でも気負っても仕方ないし、変わらぬ日常を過ごせるならそれが一番いいし、そうしてずっと続いていくのがいい。


不安をこまめに綴るのは私の精神衛生上大変宜しくないと思っていたので、根治の日を待っていた。
ブラストミヤギ落選で彼女は凹みまくってたけど笑、次は2015ツアーがあるので。その申し込みができる明日があるので。申し込むかまだ分からないけど。


ひとまず闘病は終わった。
いろんなことを考えた一年だった。

自分が鬱々としてる日も、ふとTVをつけると、嵐が嵐らしく笑ってる。わたしのこの15年、好きの温度差こそあれ、ずっとそうだったんだ。20年目も、30年目も、そうであって欲しい。
いや、私の人生=嵐ではないんだけど、日常に嵐がいるのは当たり前なんだなぁとしみじみと感じた。
お茶の間にいるのが当たり前な嵐はすごい。タモさんかよ…


とか言いつつ今はJUMPくんたちへの熱が最高潮超なんですけどね!!!てっぺんが止まることを知らずどこまでも昇りつめそうなJUMPくんたちの勢いが楽しい…!!!



この先、この1年よりしんどいことがあるかもしれない。
その時の私の趣味がジャニーズかは分からないけれど、2014年8月からのこの1年、私は確かにジャニーズに元気をもらっていた。
いつでもキラキラの笑顔でアイドルでいてくれてありがとう。
まさか「好き」の対象が増えてこんな熱量が自分の中に生まれるとは思わなかったけど、これからはただ追いかけらるのが楽しそうでしょうがない。


後ろ向きは辛い。でも前向きすぎるのも生き辛い。
我が家のペース崩さず、この先一緒に居続けられたらいいなと思う。

『JUMPing CARnival』仙台 7月25日 覚書

オープニング映像が始まった途端会場を揺るがすヲタの地響き、凄まじかった。地震かと思った。
今JUMPくんたち勢いあるなって思ってるんだけどヲタの勢いも凄かった。冒頭でいきなり周りにのまれた。
でも映像の裕翔君の可愛さに一瞬でどうでも良くなった!!!ハリポタのコスプレみたいな黒マント羽織ってる裕翔君、鎧をドラムのようにかつかつ叩く裕翔君、魔法使い裕翔君、鎧に後ろから肩をぽんと叩かれてコミカルに驚く裕翔君、なんっっって可愛らしいんだろう!!!こんなにカッコいいのに!こんなに可愛い!裕翔君好き…ッ!!!

映像の中の9人が黒いフード被って怪しげな魔術師然として並んだら、メインステージにおんなじ格好した人たちがいるように見えたので「ばっと脱ぎ捨てる感じか!?」と注目してたらまさかの上からの登場だった。全然違った。
会場は悲鳴喝采で大盛り上がりだったけど、わたしはそこにいるのが生身のJUMPくんたちだってことに全く実感湧かなくてぼんやりしてた。
「いましゃべってるのは…山田君…?ホントに…?ホントに同じ空間にいるの…?」てDVD見てる感覚が強くて力なくペンラ振ってた。

メインステージはちょっと見ずらくて『JUMPing CAR』の可愛い演出も「は〜もちゃもちゃしてて可愛いなぁ〜」てTVでも見てる感じでにこにこしてたんだけど、『Viva! 9's SOUL』でJUMPくんたちがセンターステージまで移動してきて覚醒した。
裕翔君だ…!!!裕翔君がよく見える…!表情までよく見える…!肌、白っ!髪の毛、ふわっふわ!目元、美しい!裕翔君カッコいい!!!
圭人君紹介予想外過ぎてホント可愛かった。激しくエアギターしてデスボイスで「ディスイズケイトオオオオッ」腹筋死んだ。いきなりデスボイスかましてもなんらその後の歌に影響しない裕翔君カッコいい。
伊野尾君の見せ場かっさらった裕翔君、は〜なんていたずらっ子なんだ〜可愛い〜。伊野尾君も「えぇ…?」て表情で裕翔君をただ見つめてるだけで突っ込んだりしないの、きっとこういうのいくらでもあるんだろうなぁって感じで伊野尾君のゆるさ可愛い。

『SUPER DELICATE』はホントにずっと裕翔君ばっか見てたからみんなのいちゃこらは全然気づいていなかった。「悲鳴がすごいな。裕翔君めっちゃ笑ってるめっちゃ可愛い」て感じだった。長い手足をキレッキレに動かす裕翔君のダンスはホントにカッコいい。

『Puppy Boo』でバックステージに移動していく裕翔君の後ろ姿、ステッキを持ってるだけできゅーとさ倍増だった。燕尾服にシルクハットも被ってたらイメージまんまだった。バックステージもあんまり見えなかったのでどういう振り付けの曲かよく分からなかった。

ふと気付いたら裕翔君がいなくて、知念君と伊野尾君と高木君もいなくて、「ペトラだ!!!次ペトラだ!!こんな序盤に息の根止められてしまう!!!」と一気に高揚したらスクリーンに寝そべる裕翔君のセクシーなお顔が映ってしんだ。
『ペットショップラブモーション』センターステージでやってくれてホントにありがとうございます!!!可愛い裕翔君が良く見えた…!
CDのお写真ではうさ耳の被り物全然似合ってなかったのでお衣装に恐怖しかなかったんだけど、違ううさ耳で良かった!ピンクと白の衣装で短パンみたいなズボンですげー狙ってる!よくぞ着て下さいました…!裕翔君、プロ…!
大っきな人参のぬいぐるみぎゅっと抱きしめる裕翔君可愛すぎた…満面の笑顔でぎゅってしてた…尻尾ふりふりの時背中の方が見えていたんだけど、お尻ふりふりする裕翔君が見れたのでかえって良かった。裕翔君ノリノリだった。ちょー楽しそうだった。
「ねぇ」「ねぇ」「ねぇ」で横にいるメンバーを振り返るの、「ねぇ」ってこっちに言ってるんじゃなかったのかああああ!!!て萌えしんだ。4匹顔を見合わせて最後に「ねぇ!」て呼びかけて来るんだ!あざとい!!!でも可愛い!!!
最後は伊野尾君の「大間のマグロやるよ」に持ってかれた。しかも置いていく…そしてBESTコーナーでも使われる…凝ってる…笑

『KAZEKAORU』の落選はホントに残念だけどそれ以上のものを見れた。裕翔君撮影の7のお写真、みんないい表情だった。やっぱり雑誌とは全然違う。メンバーにはそういう顔するんだ、てずっと写真の方を見ていたかったけど裕翔君がすぐそばでパフォーマンスしててまた吹っ飛んだ。一番良く見えた…山田君と圭人君はほとんど見えなくて知念君も前の人の立ち位置次第な場所だったけど裕翔君はなんの障壁もなくよく見えた…カッコ良かった…

『我 I Need You』の「1,2,3,4!」が裕翔君だったとはー!光君だと思ってたー!両手あげて笑顔で「1,2,3,4!」て言ってたー!可愛かった!カッコ良かった!伊野尾君が「その唇奪っちゃっていいですかー?」て歌ってる時裕翔君投げキッスしてた。投げキッスは他でもたくさんしてたけど、そのタイミングか、て面白かった。

MC中の裕翔君は全然じっとしてなくて汗拭いたり水分補給したりモノマネしたり常に動いてた。手が空いてる時は必ずマイクを構えててそういうところホント好き。ペットボトルが入ったカゴを自然と片付けててそういうところホント好き。

せんせーションズに拘束されたJUMPくんたち、圭人君だったか有岡君だったか忘れちゃったんだけど、たぶん圭人君なんだけど、首輪されてて山田君がその鎖を真顔で無言でぐいっと引っ張ってるのすごい謎だった。「山田君は、え?あれコマンダーさんですか?なに?どゆこと?」て全然意味がわからなくて裕翔君見る余裕なかった。罪。

『ヨワムシ★シューター』JUMPバンド当選ありがとうございます!!!髪振り乱してドラム叩く裕翔君カッコ良かった。スティックくるくるっとしたりシンバルぱしっと止める裕翔君がこの目で見れて幸せ。「めまぐるしい時間の隙間に」でのけぞる高木君超絶セクシーだった。
そして「YUTO MANIA」。なんだこれ…ソロコーナーじゃん…ソロ曲のないJUMPくんたちなのに、裕翔君、「ドラム」という特技でコーナーもらっちゃってる…胸熱…泣ける…
キャラクターと会話する裕翔君、子供向け教育番組出れると思った。
ゲーム始める前に「肩慣らし!」てドラム演奏する裕翔君。裕翔君のドラムがあんなに圧倒的だなんて知らなかった。正直ドラムについては無知なので上手い下手も全く分からないんだけど、裕翔君が奏でる音は大好きだと思った。
ドラムを叩いてる裕翔君は眉根を寄せて一心不乱、て感じなんだけど、時々「楽しくてしょうがない!」て笑顔炸裂してるのホント可愛かった。好きなことがたくさんあって一つ一つを自分の物にして仕事にも活かせてる裕翔君カッコいい。

『Beat Line』の出だし、輪になった8人の真ん中からせり上がってくる裕翔君の主役感。カッコイイーッ!!!ソロコーナーからのその登場の仕方!世界は裕翔君を中心に回っている…!白いフリルのついたジャケットの裾を翻して踊る裕翔君王子様だった。裕翔君が裾翻すのホント好き。
くっと顎をそらしてから真っ直ぐ視線で射抜く裕翔君には心臓掴まれた。裕翔君はわたしを生かすしわたしを殺すな…楽しい…

『愛よ、僕を導いてゆけ』口になんか咥えてゆっくり紐をひっぱって赤いハンカチーフを出した、ように見えたんだけど、違ったかな…。赤い布=闘牛のイメージなのでカッコいいより面白かった。でも布をさっと胸ポケットにしまう裕翔君は仕草がスマートで紳士だった。
そしてサビの裕翔君…裕翔君は目に力を込めると幼さが消えてただただカッコいい。美青年。手を差し伸べる裕翔君、一生忘れない。

『Boy's Don't Stop』の映像でお顔にペインティングしてたJUMPくんたち、『NARUTO』かと思った。

『AinoArika』か『Ultra Music Power』らへんだったと思うんだけど、歌舞伎の見得を切る裕翔君可愛かった。「そう!」てトコで変顔してこっちを振り向いた裕翔君も可愛かった。UMPでダンスを披露した圭人君と移動中すれ違う時めっちゃ笑顔でちょっかいかけてるの可愛かった。裕翔君は圭人君とよくいちゃこらしてた気がする。とりんとりん可愛い。

Dreams come true』 (たぶん)でトロッコに乗った裕翔君、裕翔君がどんどん近づいて来るのホント幸せでしかなかった…ほんの2mぐらい先でトロッコから落ちそうになった裕翔君、手すり掴んで「見た!?」て感じにぱっと顔上げた裕翔君、「あぶねー!落ちるとこだったー!」て胸押さえてた裕翔君、そんな裕翔君がほんの目と鼻の先に…幸せでしかない…
ラフな格好は裕翔君のスタイルの良さを際立たせていた。ホント、すらっとしてた…あんなにスタイルのいい生身の男の子見たの初めてかも…かっちり衣装着てるより裕翔君の体の無駄のなさが分かった気がする。腕もごつごつしてて、あの力強いドラムを叩く腕かぁ、て惚れ惚れした。

最後はける時、裕翔君勢いよく上半身折り曲げて90度のお辞儀をしてて、一番長く頭上げなくて、ホントそういうところが好き。裕翔君愛しい…コンサート参戦して、裕翔担の沼が深まった。今わたしは「裕翔君カッコいい」てことしか話題にできない。来年は多ステすることを自然と考えている。あの多幸感はまずい…何回でもみたい。早くDVD出して欲しい…

『デート~恋とはどんなものかしら〜』

面白いドラマだった!!!
裕翔君の出演が告知された時は「つまらなそうなタイトルだ」と思ったし、2話で完全無欠の好青年が人を罵倒してるシーンでは「この先見続けられだろうか」と先行き不安になったけれど、総じて、面白かった!ドラマのラストでは、鷲尾君は人の気持ちの分かる優しい完全無欠な好青年であると知っている今、心が弱ってる人に正論を真っ直ぐぶつけることの残酷さを全く分かってない「完全無欠」さも、裕翔君の演技が全力で真っ直ぐであるから、こんな時代もあったねと、むしろ微笑ましく見れる。



やはり作品を面白くするには脚本が大事だなぁとしみじみしている。
嵐にしやがれ』で唐沢寿明さんがおっしゃっていたことがずっと残ってる。

「脚本がダメで、演出がダメでって言われるんだったら、『俺自身でなんとかならないのかな』とか。最後の抵抗?(にの「自分が選ばれた意味だよね。ホントに」) ひどい話だけどさ、ね、次はさ、どんなにひどい脚本どんなにひどい演出だとしても、『唐沢ならなんとかしてくれるんじゃないか』っていう、最後に、そういうものもあるかもしれない。そういうものも含めて俺は捨ててないのよ」
(2014年9月6日)

それは俳優さんとしての「在り方」のお話だなぁと。どういう姿勢でお仕事に臨むかだなぁと。
確かにそういうお仕事の仕方をされるのなら、どんどん次へ繋がっていくだろうと思う。好きな俳優さんのそういう姿勢を感じると、こちらも「好き」が増すと思う。
でもそれは「面白いドラマ」になるかどうかとは別だよなと。
「面白いドラマ」であるにはいい脚本、いい演出も必要不可欠だと思う。話の筋が分からないとか、人物造形が薄っぺらいとか、演出の効果が意味不明とか、そういう所は俳優さんの演技だけでは如何ともし難い。
私は「面白いドラマ」が観たい。
もともとTVっ子だったけど、にのを好きになってから、嵐を好きになってから、ドラマや映画を観る機会は格段に増えた。
「自担が出てるから」「嵐が出てるから」最後まで観ようとするけれど、特ににのが出てるドラマは頑張るけど、「自担が出てるから」「嵐が出てるから」観続けているというのは寂しい。「ドラマが面白いから」「ドラマが好きだから」観続けたい。
残念ながらにのが出演するドラマや映画は私の趣味嗜好から外れてる作品が多いので、作品そのものを楽しめないことが多い。
オリエント急行殺人事件』も、豪華で壮大な作りだったけど………
盤面に関して、「自担以外の作品は買わない」というルールを設けてるんですけど、同時に「自担だからといって買わない」というのもある。「作品自体を楽しめないのなら買わない」。にの出演の作品の盤面、持ってないものの方が実は多い。
メイキングやコメンタリーや記者会見の様子や、それだけで価値は十二分にあるんだけど、それはあくまでおまけであって、そこを観たいが為に買うのは違うなと思ってる。本編に愛を持てないのなら買わない。

でもそれすっごく寂しい……ッ!
にの担なのに、にのの演技も好きなのに、作品は好きになれないものが多い。寂しい…ッ!
自分の中で「苦手」や「嫌い」が明確にあると、提供されるエンターテイメントを楽しめないことが多くて、それは自分にとっての不幸だなと思う。でも曲げたり誤魔化したりすることはできない。自分の趣味に合致する作品を待つしかない。結構待ってる。よわかては最後の2話で大好きになったけど、面白くなるまで引っ張りすぎた。
Twitterしてて楽しいことの方が圧倒的に多いんだけど、盛り上がるにの担さんたちとの温度差に勝手に凹んでたりもする。にのが好きだからって無条件に作品を好きになれるわけじゃない。
はあ。寂しい…



てところに裕翔君ですよ!!!
水球ヤンキース』の尚弥君、ホントに良かった。尚弥君を好きになって裕翔君を好きになった。ツッコミどころもあったけど、ドラマ自体が大好き。1話ですぐ好きになった。久々の邂逅…!!「ドラマが好き」に久々の邂逅…!!


そして次の演技ゴトの『デート~恋とはどんなものかしら〜』、脚本が圧倒的に素晴らしい…!!!
冒頭で言った通り最初は引いてしまうとろもあったので、「やはり苦手かも」と思ったけど、そこすら敵の手中だった!視聴者のツッコミすら想定内で作ってた!
その台詞で視聴者はどういう「先」を読むのか、その言い回しでどういう思い込みをさせられるのか、計算されていた。すごい。全10話、一文の無駄もない。
回収された時に初めてあれが伏線だったと分かる。「ああ、これ伏線か。じゃあオチはこうか」という穿った見方をさせない、正しい伏線の張り方ばかりだった。すごい。
一番好きな逆転は、依子さんのことを「母親の代わりに寄生する相手」と言っていた巧さんが、「この人は本当に恋がしたいんだ。その相手が僕じゃ可哀想だ」と叫ぶところ。
優しい……ッ!!!ああこの人は、こんなに優しい人なんだ。ニートに成り果てたのも、優しさ故だった。そこから立ち上がる勇気や強さを持てなかっただけ。成人男性としては結構な問題だ。
想いの強さや誠実さが伝わる素敵な台詞だと思った。佳織さんの初恋の気持ちは間違ってない。こんなに優しくて捻くれて面倒くさい人が近くにいたら、好きになっちゃうよ。書いてて思ったもの。にのかよって。


見事な脚本の中の鷲尾君の重要性。
巧さんのダメっぷりを際立たせる好青年、恋のライバル、依子さんに「恋」を教える白馬の王子様。
鷲尾君がいなかったら二人は結ばれなかった。巧さんと鷲尾君、二人とデートしたから、合理的過ぎる故人の気持ちを理解できない依子さんが、自分の気持ちの違いを実感できた。鷲尾君がおじ様おば様受けのいい好青年であるから、巧さんも焦ったり、依子さんの料理指導を受けたりした。あああああ不憫…!鷲尾君、不憫…!でも貴方がいなければ物語は成り立たない!リケジョとニートの恋を成功させる為の完全無欠の好青年!まごうことなき当て馬キャラだけど、ただ「当て馬」としているだけじゃない。物語のテーマを成就させる為のキーマン。依子さんと巧さんを結ばせる繋ぎ目。結果二人は鷲尾君を介さず手を取り合うことができたけど、鷲尾君がいなかったら、そうはならなかった。嗚呼、不憫…ッ!!!
でも鷲尾君が、最終回でもぶさいくな顔でわんわん泣いちゃうきゅーとさを変わらずに持っているから、多くの人に愛される。心の機微が分からない鈍感さを克服したからこそ、好青年っぷりに異常性もなくなった。
依子さんが鷲尾君にチョコレートを差し出して、「恋がしたいです」と告白するシーン。
鷲尾君の表情が、笑顔ではなく、眉を顰めたまま終わったこと、彼は依子さんの気持ちを正確に捉えているんだなと思った。自分を好いてくれているわけじゃない、ただ「恋」をしてみたいだけ。でもその相手に自分を選んでくれた、自分に「恋」をさせる自信はある、させてみせます!のキラッキラ笑顔!!!王子様…!!!


完全無欠の好青年を演じきった裕翔君。貴方を好きになって良かった。鷲尾君が多くの女性を落としまくってるのは、裕翔君の演技力の一つの答えだと思う。


Wink up 2010年8月号。
「『Dash!!』この曲は作詞を自分でやってみようかなって思って書くことになった曲なのね。作詞をしたのは初めてだったんだけど、今までオレがどう思っていたかが伝わる曲になったと思う。この曲だけじゃなくアルバムを聴いて、JUMPの曲をバンドでしたいって思ってもらえたらいいな。」

歌:Hey!Say!JUMP作詞:中島裕翔作曲:原一博

僕の中の僕に聞いた どうしたいの?
進んでいくのもストップも どっちだって自由さ
無理してたら折れた翼 翔べないまま
焦る僕を吸い込むように見下ろす空

じっと立ち止まっていても始まらない
君にはさ、見せたいよ 夢見てる 輝く世界

強く強く もっと強く 胸に想いを抱いたら
さあ行こうぜ 向かい風も受けて
高く高く もっと高く あの空のもっと上に
羽根を広げ いますぐ Just fly away!!

失敗なんておそれなくて いいんだよ
期待だけをポケットに めいっぱい詰めて行くんだ

つらいほうが多い時もあるけれど
君にはさ、見てほしい 夢の先 輝く世界

熱く熱く もっと熱く 胸の希望を燃やして
さあ行くんだ 追い風に乗って
遠く遠く もっと遠く 彼方まで翔べるはずさ
光る羽根で いますぐ Just fly away!!

強く強く もっと強く 胸に想いを抱いたら
さあ行こうぜ 向かい風も受けて
高く高く もっと高く あの空のもっと上に
羽根を広げ いますぐ Just fly away!!


好きになったタイミングが「輝く世界」を見せてくれている時であること、本当に幸運だと思ってる。裕翔君の今後の演技ゴトが楽しみでしょうがない。今度はどんな作品に出るのだろう。どんな役をやるのだろう。どんなことを求められるのだろう。それにどう応えていくのだろう。

『デート』では、求められていた以上の結果を残したとしか思えない。ここまでのこと、予想しえないよ。お芝居やドラマ作りに真摯に取り組む裕翔君の、その相乗効果が凄まじい。それを見守れて、体験できて、なんて幸福なんだろう。

まだ21歳。可能性は無限大。

『デート』で鷲尾君を演じる裕翔君を見ていて、強くそう思った。金熊賞、裕翔君ならホントに獲っちゃう気がするよ。にのがハリウッドに出たの、23歳だよ。なんでも出来る。本当に。そのポテンシャルがあるし、才能があるし、努力をするし、ホームを持ってる。裕翔君を俳優さんだと思って、ジャニーズであることや、Hey!Say!JUMPであることをマイナスに感じた方は、とりあえずJUMP君たちのパフォーマンスを見てみたらいいと思う。吹っ飛ぶから。侮りとか、吹っ飛ぶから。裕翔君が、自分の仕事を還元したいと思ってるグループが、Hey!Say!JUMPです。裕翔君のことをずっと見守って、裕翔君が「会って元気をもらえる」というメンバーが、薮君と、八乙女君と、有岡君と、伊野尾君と、高木君と、圭人君と、知念君と、山田君です。裕翔君を好きになったのなら、JUMPを好きにならざるを得ないと、私は思った。JUMPの中の裕翔君は、……結構、うっとうしい笑 ホントはそういう子なんだー、と驚いたし、微笑ましかった。裕翔君の掴み所のなさ、魅力的です。


「流れが変わった」という意見を多く目にする『半沢直樹』より、注目を集めたんじゃないかと思う、『デート』。この先のお仕事が、本当に楽しみです。

原作『弱くても勝てます』

進学校のへっぽこ野球部が独自のセオリーで甲子園を目指す」

その設定からイメージしていたお話まんまだった。とにかく笑える。生徒たちの頭の良さは「結果から考察する」より「先回りして考える」ほうに回転し、取材者(読者)を「つべこべ言わずに(バットを)思い切り振り切ればいいんだよ」ともどかしくさせる。誰も彼もが「考え過ぎ」ていて、取材中何度も引いちゃってる取材者のコメントが面白くて、ニヤニヤしっぱなしだった。

ドラマの敗因は「『信頼』や『思いやり』などは日常生活で学べば良い」という本を原作にしたのに「『信頼』や『思いやり』を野球監督に教えさせた」ところにあるのかなと。青志君は「偉大なるムダ」に生徒を全力投球させれば良かったわけで、城徳のセオリーを語る時、あんな説教じみた言い回しにする必要はなかった。そういうのは校長とか「部長」とか他の大人にさせれば良かった。

原作でも監督は生徒たちを怒鳴り散らしているけれど、それは生徒たちが「頭でっかち」で体が動かなかったり、コミュニケーション力が低過ぎてチーム内ですら意思疎通ができていなかったり、「人としてダメ」な部分が多過ぎて「なんで俺がこんなことまで言わなきゃいけないんだ!」てヤツで、「監督が変わってる人」だからじゃない。
なんで青志君をあんなめんどくさい人にしちゃったんだろ。誰よりも青志君こそがへっぽこだった。
進学校の変わった考え方をする野球部員と、生徒に合わせて独自のセオリーを生み出す思考の柔軟性はあるけど社会的感覚は真っ当な野球監督と、そんな野球部を見守る「普通」の記者。このバランスが面白い。ドラマではそこを崩しちゃってたなー。

個性とキャラクター性は違うのに、最近のドラマは人物像をキャラっぽく作り過ぎだなと感じてる。そして「成長」を見せるためにいちいち「過去」を持たせたり「事情」を抱えさせるのやめてほしい。
よわかてもそういうのなくひたすら野球をしてたら、絶対違ったのに。もったいなかった。原作がとても面白い分、なんだか悔しい。

しかしこれは完全に趣味の問題で、「スポーツだけしているスポーツ物」が好きだから(金字塔:スラムダンク)そう思うんだろうなぁと、自覚してます。
原作を読んで、ドラマのあそこをあーしていたら、こーしていたら、というifが膨れ上がった。

原作『父と暮せば』

前口上からはっと胸を突かれた。

アジアに対しては加害者の日本人が、何時までも被害者意識に捉われてナガシマやヒロシマの話をしていてはいけない、という声に、「否!」と言い続けるという。
二個の原子爆弾は日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたもの、あの地獄について書くのは、被害者意識からではなく、「知らないふり」をすることは、何にも増して罪深いことだからだと考えるからだ。(要約)

ヒロシマナガサキのことを後世に残すのは、被害者であったことを忘れさせない為ではない。ヒロシマナガサキについて知ることは、日本人がどれだけ酷いことをされた被害者であるのかを知ることではない。
あれが落とされた時の情勢、あの時の日本国内の空気、常識、多くの国民はそっと口を噤んでいた本音、投下のその日、ヒロシマナガサキの町はどうなったのか、生き残った方たちが語る「それ」はどんな物か、家族や友人のどのような姿を見ることになったのか、後遺症は、どんな想いを抱えることになったのか、その人その人が語る事実を蓄積することが大事なんだなと。何を感じ、何を決め、何を語り、或いは何を行動するのかは、受け手に委ねられている。
地獄について「知らないふり」するのが何より罪深い、とおっしゃる井上ひさしさんの書いた戯曲、こちらも向き合って読まないといけないんだ、と背筋が伸びた。


原爆から3年後の広島市が舞台。
『母と暮せば』では息子が幽霊だけど、『父と暮せば』では父が幽霊として登場する。
実の子のように可愛がってくれた親友の母に「なぜあの子が死んであんたが生きてる」となじられ、「自分は幸せになってはいけない、恋愛なんてしちゃいけない」と殻に閉じこもった日々を送っている娘。
そんな彼女の中に淡い恋心が生まれたのをきっかけに、原爆で亡くなった父が現れた。彼女の恋心が自分を生んだと言う父。父は娘の恋を応援するけれど、娘は頑なに自分の恋から遠ざかろうとする。そんな娘がもどかしく、父は「何故」と問い続け、物語が進むごと、彼女の後悔、罪悪感が紐解かれていく。

「おまいは病気なんじゃ。病名もちゃんとあるど。『後ろめとうて申し訳ない病』ちゅーんじゃ。気持ちはよう分かる。じゃが、おまいは生きとる、これからも生きにゃいけん。そいじゃけん、そやな病気は、はよう治さないけんで。」(抜粋)

娘を生かす為に現れた父が語る終盤の言葉、どれもがあったかくて強くて、娘は「父を見捨てた」と思っていたあの時のことを、父が「おまいはわしによって生かされとる」と言ったことによって、「父が娘を救った」場面になった。
あの日はむごい別れが何万もあった。生きてる人間は容易には受け止められない罪悪感を、その対象が幽霊として現れて、死ぬ直前までの想いをはっきり伝えることで、終盤にきても自分が幸せになることから逃げようとしていた娘は、ようやく自分の人生と向き合えた。そして幸せになれる道を選択できるようになった。

「こんどいつきてくれんさるの?」
「おまい次第じゃ」
「しばらく会えんかもしれんね」
「…………」


父と暮せば』は、娘が主人公で、娘に「生きる気持ちを取り戻させる」物語だった。タイトルも、『父と暮せば』、娘視点だ。
でも『母と暮せば』は?主人公は吉永小百合さん演じる母としながら、タイトルは息子視点。あらすじの一部も、生前の彼女に新しい人ができるのを受け入れられない息子、そんな息子を愛おしく想う母、とあり、変化を求められているのは息子の方にも感じられる。
でも幽霊が出てきたきっかけが「母が息子の死を受け容れたこと」なら、母が生きていく為の物語なんだろう。
父と暮せば』を読んだことで想像が具体的になった。


偉そうな冒頭から自担に着地してすみません。